リングの足跡

東洋太平洋フライ級チャンピオン

 
松村謙二(謙一・JA加古川)

 松村謙二(謙一)ほど異色のボクサーはいない。ボクシングに出会ったきっかけも実にユニークであ
る。
 松村は大学時代、大学のイベントである素人ボクシング大会に出場し、ミルも無惨にこてんぱんにK
O負けしたのがボクシングに出会ったきっかけである。松村はKO負けしたのがよほど悔しかったのか
翌日、ボクシング部に入門。こんな出来事がとことん松村をボクシングにのめり込ませた原因であった。
 松村は大学卒業後、警察官になったが、大学時代にのめり込んだボクシングの味を忘れられず、退職
してアマのボクサーに舞い戻った。しかし、松村は結婚が理由で、ボクシングから遠ざかり、学校の教
師となって新しい生活を始めていたが、子供が産まれてしばらくすると、ボクシングの味が忘れられず、
今度は教師を辞めてプロの世界に転向した。1985年、6回戦デビューであったが、プロ3戦目に名
嘉真堅徳に10回戦で判定負け。プロ5戦目に世界ランカーであるフランシスコ・モンティエル(メキ
シコ・仙台ジム)に大激戦の判定負け。妻子を抱える松村は苦悩を続けながら8戦目に東洋太平洋フラ
イ級王者タノムサク・シスボーベー(タイ)に挑戦して議論を呼ぶ小差判定で東洋王座を獲得した。こ
のタイトルは3度防衛。
「早く世界チャンピオンになって妻子を食わせるようになりたい」と願う松村は1階級上の怪物、WB
A世界Jバンタム級王者、カオサイ、ギャラクシーに挑戦した。カオサイはKO率9割を越え、19度
防衛した名王者であり、1試合を除いて全てKO防衛を果たしている。「カオサイは強すぎて相手がい
ない。というのが松村を世界挑戦にこぎ着けさせた理由であった。1989年の4月の挑戦だった。
 カオサイは強すぎた。試合前のレフリーに注意を聞く際に、カオサイの眼光に対戦相手は恐怖に陥ら
れてしまう。しかし、松村は違っていた。松村の目に恐怖など、みじんもなかった。てや・・・そうで
はない。「恐怖の中にいるからこそボクシングは面白いのだ」と言いたそうな表情を浮かべながら、カ
オサイをにらみ返す。相手が強いほど松村の闘志に火がつくのだ。
 カオサイのプレッシャーを不屈のファイター松村謙二がスピードで圧倒する。松村のスピードと闘志
でカオサイを上回ったかに見えた。しかし、10ラウンド、カオサイの強打を受けた松村はダウン!。
死にものぐるいでカウントアウトを免れようとする必死にクリンチでしのいだ。
 最後まで勇敢なファイトで戦い抜いた松村が小差で勝っているとTV放送解説者、渡辺二郎は絶叫す
る。スーパーチャンプ、カオサイ・ギャラクシーから念願の世界タイトルを奪ったと思った瞬間、無情
にも判定はカオサイに上がり、松村は敗れた。
 同じ年の10月、判定を不服とした松村陣営はカオサイに再び挑戦し、何度かカオサイを追い込むシ
ーンもあったが、最後はカオサイのパワーが炸裂してロープ際で粘りながらレフリーのストップのコー
ルを聞いた。
 これで史実上の松村は終わってしまったのかも知れない。タフな松村がTKO負け。30歳を越えな
がら「心身とも登り坂」と松村は譲らずカムバック。しかし、カオサイとの激戦は松村を骨の髄からダ
メージが襲っていたのに違いない。
 1990年、10月20日、今度は韓国でWBC世界Jバンタム級王者、文成吉に挑戦した松村は前
半ダウンを喫してピンチをしのぎ、猛攻で文を追い込んだものの、偶然のバッティングで文が目尻を激
しく切って流血。結局、5回負傷判定で涙をのんだ。
 1992年9月に松村謙一と改名して、カオサイが返上したタイトルを獲得したWBA世界バンタム
級王者、鬼塚勝也に挑んだが、カオサイ、文との戦いでダメージを残していたか、良いところ無く5回
KOで敗れ去ってしまう。引退勧告に、それでも納得行かない松村はジムを移籍して世界挑戦5度目の
ステップに川島郭志(のちのWBC世界Jバンタム級王者)がもつ日本Jバンタム級タイトルに挑んだ
が、川島の若さとスピードに屈し、セコンドからタオルが投入された。松村はそれでも現役に拘ったが
周囲は決して松村をリングに立たせることはなかった。
 闘志を胸に常に全力投球し続けた松村のファイトは心に残るボクサーと言うよりは、不屈の闘志を見
せたファイターとして心に残すことだろう。


        
 
「リングの足跡」の感想をお聞かせ下さい。

拳キチ伝言板

      このコーナーにお問い合わせはkenkichi@ic-net.or.jp

リングの足跡目次へ
拳キチ倶楽部へ
ホームへ戻る