リングの足跡

WBA世界ウェルター級チャンピオン

 
ホセ・ピピノ・クエバス(メキシコ)

 対戦相手を病院送り、または顎を割ってしまう。KOされた選手に聞くと「左フックを受けた後の事
は何も憶えていない」。さて、貴方はこんな事をするボクサーと試合をしますか?私なら御免だね!、
クエバスと試合するのは!!。
 ホセ・ピピノ・クエバス。1976年から1980年までのWBA世界ウェルター級チャンピオンで
「ジョー・ブレーカー・ピピノ(アゴ割ピピノ)」の異名がついた恐怖のスラッガーである。何故に「
ジョー・ブレーカー」と言われたか彼の戦いを振り返ろう。
 クエバスは1971年、2回KO負けという最悪のプロスタートを切る。デビューから5年間の戦績
が19戦14勝5敗で12がKO勝ちである。あたればKOで外れたら判定負けのパターンである。と
言うことは、デビュー戦の時は何と13歳のあんちゃんであったのだ。メキシコのリングでは年齢制限
も労働基準法も関係ないのだろう。
 世界的にはそれまで無名だったためクエバスがチャンピオンになったことはフロックではないかと言
う声もあったが、その後の試合で実力を示すことになる。初防衛戦は日本の辻本章次と行い6回でKO
する。後から考えると辻本は大善戦したことになるのだ。その後カンパニーノを2回、グレイを2回、
エスパーダを12回、ウェストンを9回、バッカスを1回、ランザニーを2回、クラークを2回という
具合に試合を終わらせている。そのうち何人かは、顎の骨を割られ、また何人かは病院送りになってい
るのだ。「ジョー・ブレーカー」の異名はここから来ている。ボクシングマガジンで彼の試合結果を見
ると「クエバス強し、元世界王者を戦闘不能に」「クエバスまた挑戦者を病院送り」「クエバス、また
即戦即決」と言う見出しが並んでいる。
 70年代後半から80年代初頭にかけて世界の注目を集めたクラスはヘビー級ではなく、ウェルター
級であった。その舞台の出演者はオリンピック金メダリストのシュガー・レイ・レナード、元ライト級
チャンピオンのロベルト・デュラン、署名な世界ランカーをバッタバッタと倒し、世界ランク上位に上
がってきたトーマス・ハーンズ、そしてクエバスの4選手である。誰が最後に生き残るのだろう?世界
中のファンがこのクラスから目が話せずにいたのだ。
 クエバス、12度目の防衛戦の相手がハーンズになった。クエバス11度防衛の内、10度がKO勝
ちである。ハーンズは28戦全勝26KOと言う素晴らしい戦績を残している。さてどちらが勝つので
あろうか?結果は残酷であった。
 ハーンズの右ストレートでクエバスは2回でリングに沈んだ。今まで対戦相手にしてきたことが自分
の身に起こったのだ。
 その後、タイトルに縁はなかったが、1970年代後半ウェルター級で荒れ狂ったメキシカンの左フ
ックをファンは忘れないだろう

        
 
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