リングの足跡

WBA世界Jライト級チャンピオン

 
ベン・ビラフロア(比)

 ベン・ビラフロア。強烈な印象を与えた最初のボクサーとして自分の脳裏に焼き付いている名前、フ
ィリピン生まれのWBA世界Jライト級チャンピオンである。
 彼の試合を始めてみたのは、1976年1月12日に日本で行われた柏葉守人(かしわば・もりと)
との世界戦であった。当時、私は中学校1年生でボクシングの技術何て全然分からず、ボクサーの評価
についてはテレビの画面から見える印象が全てであり、戦績とか、キャリアなどは関係ない者と思って
いた。試合前の選手の状況は新聞から得るだけであり、その試合についても同様の体勢でテレビ観戦に
のぞんだ。
 試合が始まった。柏葉がジャブを出しビラフロアが様子をうかがう。「お!結構スピードが有るな!
これは期待できるかも」単純にそう思ったが次の瞬間にこれは勝てないと確信してしまった。パンチの
スピードが違う。テレビを通した自分の目でもはっきりその差が分かるのだ。パワーもありそうで、見
た目の迫力が柏葉とは全く違っていた。「んー。この選手はとんでもないヤツではないか」第1ラウン
ドだけでそのように思った。2ラウンドに柏葉がダウン。3ラウンドにも接近した間隔に左のショート
アッパーで柏葉がダウン。13ラウンドに一方的な試合になったときレフリーが止める事になった。意
外試合が長引いたのは、ビラフロアが手を痛めた事が原因だったらしい。「良く13回までもったなあ
」と言うのがそのときの私の感想であった。
 小学生の時、父親がハワイからの衛星中継を観戦していた。世界Jライト級チャンピオン柴田国明の
初防衛戦である。第1ラウンドで父親が声を上げた「あら!!やらった、やらった!」ふとテレビを見
ると柴田がキャンバスに倒れて立てそうにない。わずか1回でタイトルは移動することになってしまっ
た。そのときの相手がビラフロアであった。
 個人的にもっとも好きなボクサーの一人であるが、世界的に評価を得ているボクサーとは考えられな
い。生涯戦績74戦62勝34KO5敗7分けという数字は私から見ると以外である。あの迫力あるボ
シングで62勝の内34KOは少ない気がするし、引き分けが7とは多すぎる。ビラフロアは2度のタ
イトルを獲得して、合計6度の防衛に成功している。その中の3度は引き分け防衛であった。フットワ
ークに欠けるが、打ち合いにはめっぽう強いと言うボクサーのため、世界戦に出場するような選手に足
を使われると対応できないことが多かったようだ。
 日本人との成績は8戦6勝(6KO)1敗1分け。負けたのは柴田にタイトルを奪われた試合である
が、再戦では初回の左一発でタイトルを奪い返している。フィリピン生まれ、ハワイのボクサーとして
生まれ育ち19歳で世界チャンピオンになったビラフロアだが、引退したのは24歳と言う若さであっ
た。
 後年、アンディ・ガニガンという選手がハワイから世界1位まで上昇して、ビラフロアの再来になる
のではないかと言われた時期があったが、当時の世界チャンピオンはロベルト・デュランでガニガンが
挑戦しても勝てる見込みはなかったような気がする。1982年、アルゲリョのタイトルに挑戦して5
回KO負けで敗れた。
 私は、いつの日かハワイのリングからとんでもないハードパンチャーが出現することを楽しみにして
いる。
   リバーサイドジム発行ミニコミ誌「キャンバス」1995年6月号より Mr・ロープダウン


        
 
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