もう誰とも会いたくない
浜田剛史編
昭和61年。長らく王座を守ってきたWBCバンタム級王者、渡辺二郎が王座から転落した。そのころの
日本ボクシング会は現在より人気は低迷しており、「ボクシング何か駄目だ。日本は弱すぎる」そう、私の
努める会社の連中はささやいていた。私のショックは大きかった。負けると思わなかった渡辺が技巧派の
ヒルベルト・ローマンに屈し、日本に世界王者がいなくなったからである。あまりのボクシング界の低迷期
にタイトル奪取の期待がかけられているのは世界Jウェルター級6位、浜田剛史のみだったのである。もは
や浜田を除いて世界に挑むものもいなくなり浜田に日本ボクシング会の存亡が賭けられていたのだ。
その年の7月、浜田はWBC世界Jウェルター級王者レネ・アルレドンド(メキシコ)に挑む事になった。
TVでも浜田の挑戦は期待大で連日、浜田挑戦の話題は報道されていた。
私の会社では浜田の世界挑戦の話題が持ち上がり、「無理、無理、絶対に勝てない。浜田なんか直ぐに
やられるだろう」と、噂しはじめた。その話しを聞いてはらわたが煮え繰り返った。「浜田の事を何も
知らないくせに!!」
ボクシングの情報に少しは詳しい私に会社の連中が、浜田は勝てるかという質問が飛び交う。勿論、
勝てると答え浜田の骨折によるブランク。復活してからの日本記録15連続KO。浜田がいかに強いか
説明した。それでも無責任な同僚たちは「怪我していたときに辞めれば良かったのに。どうせ勝てない。
他の人生考えて生きた方が絶対利口だ」などと言うと私は「てめえらの顎、叩き割ってやろうか!」と
言いたかったが、じっとこらえた。
私はリング上のファイトより、そのボクサーが何を思い、何を秘めてリングに上がるのという事が好きだ。
「負ける」と言うのは簡単だが、浜田がボクシングに己の人生をすべてかけ、リングに上がるのが好きだっ
た。
試合の日、私は不安と期待に胸を膨らませた。レネは強かった。KO率は9割近く、浜田は同率に近いが
中量級で日本のボクシングが通用するか不安だった。
試合は浜田ペースで始まり、ロープに詰めた浜田がレネを連打で豪快に倒した。私はガッツポーズで
大声で「浜田KO勝ち!1RKOだ!!」と叫んだ。ついに浜田の苦労が報われた。私はこんなボクサーの
姿がすごく好きだ。
翌朝、胸を張って会社に出勤。「俺が勝ったんだ」と言いたげに「浜田はすごかったろう」と自慢。
別に自分が勝ったわけではないが、自分の事のように自慢した。会社の連中も手のひらを返したように
「浜田は凄いな」と答えた。勝つと誉める。負けると貶す。それがボクシングを知らぬものだ。私の場合は
リング上の華々しさより、リング外の苦労を称えたい。しかし、一般人はリングの中の出来事でしか選手を
誉めたりはしない。結果がすべての世界だけど、それだけでは一人のボクサーを評価しようとは私は思わな
い。
浜田はその年の12月。判定で初防衛に成功。しかし・・クロスゲームだった。次の日、会社では会社で
は浜田の負けと噂されていた。何が負けた!浜田は過激なトレーニングの末、体はガタガタになっていたの
だ。特に膝は手術を要しなければならないほど悪化していたのだ。世界王者になるため激しい練習を続けて
きた浜田の体は故障だらけで、こんな状態になってもリングに上がり、そして勝ったのはタイトルを獲るこ
とより驚異的だった。そんな事を一般の人々は評価しない。
そして世界王者になってからちょうど1年。膝の故障が癒えないまま浜田はレネとの再戦に流血の6RKO
負け。浜田は膝の状態が悪く、後ろ足に重心がかかり、膝で左右にウィービングする事が出来ず、アッパーを
食って目を切り裂かれ、無情の右フックを浴び続けた。最後まで頑張り続けた浜田を翌日、「不様な負けだ
った」と会社の連中が噂すると考えると涙を流したいほど悲しい・・。
元気の無い翌日・・・。会社に車で向かう私は、ボクシングの事に触れて欲しくなく、ため息を吐き
「あぁぁぁ・・・。会社に行きたくない。誰とも会いたくない」と思うのだ。
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